群青だより

10年、20年先の子どもたちの未来のために

われは草なり

学校行事の中に三送会というものがある。学校によってその内容は様々であろうが、三年生のために出し物を披露したり、異動された教員からのビデオレターが流れたりというところが多いのではないだろうか。

 

出し物に関して、勤務校ではここ10年ほど毎年同じダンスを3年に披露するという流れがあり、昨年まで続けられていた。体育の授業で練習をし、発表の場を兼ねて3年生に向けて披露するのだ。

 

1人の体育教師が一手に引き受け(自らの意思と思想を掲げ)熱を入れてダンス指導し、伝統と称して後輩たちに受け継がせる。受け継いだ後輩が先輩に向けて披露する、そんな構図である。

 

昨年度初めてこの光景を見た時、異様な感じがした。口汚いが、一生懸命と伝統の名の下の洗脳と大人の手抜きである、と。

 

(僕は勤務校の卒業生であるが、少なくとも僕が中学生の時にそんな伝統は無かった。)

 

ダンスそのものを否定するつもりはない。しかしこの与えられたダンスをそのまま踊ることには発展性のかけらもない。ダンスの曲は僕らが学生時代に流行った曲であり、振り付けもおそらくずっと変わらないのである。

 

 

教師がビジョンを示す。そして、子どもたちが新しいことに挑戦したり、一生懸命知恵を出してあったりする。そんな子どもたちを見守りながら、成長させていくこと。これが本来の姿であるはずだ。教師が出来上がったものを生徒にやらせるだけでは、本当の意味での成長はない。

 

教師を超えるような子どもをどれだけ育てられるか。これが教育の真髄なのである。

 

 

ということで。体育教師の退職を機に、今年度から三送会の内容を一新することとした。古き良きものもたくさんある。しかし変えて行かねばならぬことも多くある。

 

昨年末からゼロベースで子どもたちと一緒に考えている。その準備の過程で感じることは、子どもの力は無限であるということだ。軽々と我々大人たちの発想を超えていく。

 

われは草なり伸びんとす。

のびられる時伸びんとす。