群青だより

10年、20年先の子どもたちの未来のために

生徒の思考がつながる授業について

授業を設計する際、設定する問いや学習内容が、生徒の思考がつながっていくようなものになっていることはとても重要なことだ。

 

しかし、意識しないと、教師の「教えたい」が先行し、強引に生徒の学習をつなげてしまうことで、思考が途切れてしまうようなことも少なくない。授業者は生徒の思考が、途切れていることに気づかず、生徒に問いかけても、反応が鈍いことに対し、『生徒のやる気や力が劣っているのだ』というマインドに陥りがちである(自分がやった授業がまさにそんな授業だった。)。しかし生徒の反応が鈍いことには必ず原因があり、それはやはり授業者が設定した問いや資料、学習内容が悪いことに起因する場合が多い。昨年行った授業(失敗例)をもとに振り返りたい。

 

もともと考えた学習の流れは次の通りである。

※中宿遺跡は地元にある郡衙跡であり、地域教材として活用した。地域教材の難しい点は、教師の扱いたいが先行し、それを使うことが必ずしも生徒の学習理解につながるかについては十分検討しなければならない。これも今回の授業の反省点から。

授業の展開

この授業を振り返ってみると、中盤で大きく停滞した授業になった。数名の生徒がうとうとしてしまっていたり、考えることから離脱(頑張りたいのだけれど、ついていけないような様子)する生徒が多く見受けられた。

 

授業後の検討会で埼玉大の桐谷正信教授からご指導をいただいことを踏まえ、授業が停滞した理由とこの授業の課題点を以下に整理する。

 

1、曖昧な目標設定

本時の目標は、【岡部の遺跡と日本の歴史を関連付けて考察し,律令国家の仕組みを理解する。】であるが、4つの点で曖昧であった。

①本時で理解する「律令国家の仕組み」とは?
②何について「考察」するのか?
③「関連付け」とは?
④岡部の遺跡と関連付ける「日本の歴史」とは?

 

少なくとも、本時の目標と結論(まとめ)の整合性が取れていなければ、授業としては成立しない。ちなみに本時の結論(まとめ)として指導案に記載した内容は、

 

律令国家とは、天皇中心の支配体制の中で成り立つ国のことで,古代の岡部には,郡の役所がおかれ,律令国家の枠組みの中で位置づけられていた。】

 

であるが、目標にある、律令の仕組みや役割についての、結論が存在していなかった。

 

2、中心的学習の欠落

学習活動4について

平城京が唐にならった都であり、唐の律令を取り入れた国づくりをしていたことを理解する。」では平城京が唐にならったこと唐の律令を取り入れたこと律令国家の定義はわからない。

 

律令の概念を理解し、律令と中央集権の関係中央と地方の関係について、生徒が思考するためには「税」の存在が必要不可欠であった。

 

3、探究の連動性の不足

具体的には、学習活動が以下のように切れてしまっていて、1時間の授業として、まとまりがなくなってしまっている。

一番の失敗は、中宿遺跡の正倉から奈良の正倉院につないでしまったことである。今回の授業では地元の中宿遺跡の正倉から律令について考えることがポイントなのであり、平城京について取り上げることで、生徒の思考はあっちへいったりこっちへいったりとなってしまう。平城京につなげるために、無理やり奈良の東大寺正倉院に着目させたわけだが、そもそもこの平城京の学習はまた別の機会に行った方がよかった。学習内容を取捨選択することは重要である。

 

なお、生徒の思考が自然とつながるための学習の流れについて、桐谷先生からいただいたアドバイスは以下の通りである。

 

①中宿遺跡の写真から倉庫の役割について気づく。

②中宿遺跡周辺にから土器や貨幣が発見されてたことに気づく。

郡衙の復元図から、集積地、物流拠点だったことに気づく。

④集積された稲が税であったことに気づく。

⑤税制前提の公地公民制度について理解する。

律令によって、土地と戸籍を中央が管理したことを理解する。

郡衙に役所があり、中央から国司や郡司などの役人が派遣されたことを理解する。

⑧役所に税を集積、保管し、中央に収めたことを理解する。

⑨中央と地方(榛沢郡)の関係から、中央集権律令国家のしくみを理解する。

 

桐谷先生からは、授業の問題点を的確にご指摘いただいただけでなく、一緒に改善策を考えていただいた。また研修会では、授業動画を編集していただき、実際の授業の様子を交えて解説をしていただいた。自分の授業を見つめなおす、貴重な機会となった。本当にありがとうございました。