中学校の現場で昔からある習慣に、生活記録ノート【あゆみ】がある。連絡帳と日記の機能として用いられたいて、教科連絡や持ち物の記述、その日の振り返りの記述などをし、翌日の朝担任に提出するというものだ。
このノートの活用について、【学級経営の核】と考えて大事にしている先生もいる一方で、どうしても【慣習としてやり、気づけば惰性的】な取り組みになってしまう場合もあるのではないか。
よくある生活記録ノートの活用についてプラス面とマイナス面の視点に注目して書いてみる。
【学級経営の核】として取り組む先生のマインドとすると
→生徒の実態を把握する
→生徒は口では言いづらいことを相談できる
→生徒と繋がるためのツール
→生徒の振り返りとして機能させる
→家庭からの連絡ツール
といったことが挙げられそうだ。生徒が書いた記述に対して丁寧にコメントを書き、信頼関係を築いていくことを大事にしている先生も少なくないだろう。
しかし、クラス全員に丁寧にコメントを返すためには、空き時間の50分間をフル活用しなければならない。あるいは休み時間や給食を食べた後の隙間時間を使う先生もいるだろう。しかし時間を費やすという部分も含めて、生徒との関わりを地道につづけるという点において、教育的な価値は大きいとも思う。
一方で【慣習として惰性的】な取り組になってしまう場合もあり、それはなぜかと考えてみると
→続けていくうちに、一人二人とノートを出さなくなってしまう、生徒がいる
→全員が提出をするために指導するゆとりがなく、段々と形骸化してしまう
→生徒が書く文章がだんだん少なくなり、内容が薄くなる(○○をしました。△△でよかったです的な感じ)
→それゆえコメントもどんなことを書いたらいいか悩む
→そもそもその日のうちに生徒が書く時間を十分取れず、家で書ける生徒はいいが、翌日学校に来て出す直前に慌てて書く、あるいは書けないような生徒もいる
→教科連絡を書く必要がない(タブレットなどで連絡されるのでなくても支障はない)
などが挙げられそうだ。
やはりこのノートの活用を、意味あるものにするためには、1日の終わりに振り返りを書く時間をしっかりする必要がある。そのためには帰りの会のプログラムを精選することも必要だ。
教科連絡を係が言ったり、各時間の授業評価や振り返りを発表したりするプログラムもよくあるが、形骸化した取り組みは辞めてもいいのではないかと思う。(各教科の連絡を「いつもの」で済ませてしまうクラスも多そう?ならばやる必要はない。)
そしてこのノートを
教員が生徒の内面を把握するためのもの
から
生徒が自律、自己対話するためのもの
というふうにマインドセットしてみてはどうだろう。そんなふうに取り組んでおられる方もたくさんいるはずだ。
生徒は、スケジュールの見通しや計画を立て、それに対してどうだったかを振り返ることを続けていく
教師は生徒が自立するための手助け、フォローをする。そのために、見取りはするがコメントは簡単に、あるいは対話によるフィードバック。必要な場合に長い文でコメントをする。などが無理なく続けていけるようなものにすればいいなと思う。
生徒の視点で考えると、出すことや書くことが目的でなくなる分、逆に楽な気持ちで続けられるのではないか。
あくまでも、自分と向き合うためのノートという位置づけである。
手帳の実践は横浜創英の工藤勇一さんが、
https://youtu.be/Z5wb7r1_Ikw?si=4SnEMYmXmFXQHBX8
ふりかえりの実践(振り返りジャーナル)は、風越学園の岩瀬直樹さんが
https://iwasen.hatenablog.com/entry/2020/08/22/142145
それぞれ、取り組まれていて参考になる。
生徒にとって
『ねばならない』
ノートではなく
『今日は何書こうかな〜』と思ったり『あとでふりかえって読みたくなるような』自分ごとの
ノートにならばいいなと思う。