群青だより

10年、20年先の子どもたちの未来のために

学習者の視点

「いかに教えるか」「いかに考えさせるか」から離れてみると教師にとっての当たり前が子どもにとっては当たり前でないことがわかったりする。

 

今日の授業でのこと。複数の生徒同士で「交通網」と「道路網」の違いについて話し合っていた。これは雑談レベルの会話である。しかしそんな会話の中で語句の意味がクリアになっていく。

 

そのほかにも例えば「首都圏」「首都」「都市」「都心」「貿易」「交易」など、当たり前のように教科書に載っている語句の意味やその違いが意外と難しい。しかもこれらはあくまでも学習課題や問いを解いていくために必要な一要素に過ぎない。

 

 

教師主導の一斉指導ではそういった語句は、わかっているものとして話をしてしまうことも多いし、誰が分かっていて誰が分かっていないかを把握することも不可能である。子どもからしても授業を止めて質問することは憚られるであろう。

 

社会科の苦手な子どもにとってはこれら教師が当たり前に使う語句の意味を自分のタイミングで友だちに聞く、調べるといった余白があることがとても重要であると改めて感じた。