群青だより

10年、20年先の子どもたちの未来のために

メモ 「教えることの復権」

『日本の教育界では、子どもの自主性を大切にしようと、「教える」ことよりも「学ぶ」ことに重点を置き始めたように見える。これまでの「詰め込み」への反動だろう。だか一方で、教師の役割を軽視しすぎてはいないだろうか?本書では教師が「教えるということ」をもう一度正面から見つめ直し、今もっとも必要なことは何かということを、すぐれた教師とその教え子、教師社会学者の間で徹底的に考える。』

 

これは本書の袖に書かれた一節である。

 

一見すると、今自分が取り組んでいる、生徒の学ぶ力を育ているとか、自学力(自走力を育む)といったことと相反する考えであるとも思えるが、この「教えることの復権」を通して、改めて教師の役割や意義について考えさせられた。

 

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現在、自由進度学習や『学び合い』を実践をしていく中でも、たえず教師の役割について考えてきた。確信したことは、教師は何もしないのではなく、(「学習」については子どもたちに任せるが)教師にしかできないことを、ぶれずにやることがどれほど重要であるかということだ。課題を設定し、学ぶ生徒の姿、集団の姿を見、感じたことや願いを、真っすぐに伝えるのである。子どもたちの目を通すと、その言葉が、上っ面なのか本心なのかはすぐに見抜くであろう。そこの部分で真っ向から勝負する教師でありたい。

 

本書の中に、大村はまさんの教え子である刈谷夏子さんの視点から以下のように記されている。

 

『話す力も書く力も国語の教室の中に閉じ込められるものではないんですね。人が生きていくうえで、思っていることをそのまま言おうとか、伝えたいことを書くということは、一生の基本的な力になるんでしょうね。成績とか学歴とかそんなみみっちい話ではない。』

 

『学び合い』の授業を日々実践しているからこそ、「教師の教える」ということがどういうことなのかをしっかりと考えていきたい。