群青だより

10年、20年先の子どもたちの未来のために

「鳩」と「狼」の話

 

昨日は8月1回目のオンライン西川ゼミでした。

オンラインのゼミ生に加え、西川研究室のゼミ生が参加していました。

 

ゼミ生からの質問に対する西川先生の話の中で、「鳩」と「狼」の話があり、とても印象に残りました。

 

たとえば、目の前に二つの檻があります。

一方には腹を空かせたオスの鳩が二羽入っています。

もう一方には腹を空かせたオスの狼が二頭入っています。

その檻に布をかぶせて一晩経つと、檻の中はそれぞれどうなっているのでしょうか。

 

鳩の檻を見ると、一方の鳩がもう一方を攻撃し、死んだ後もなお攻撃し続け、ミンチ状になっているのだそうです。

では狼の檻はというと…

狼の檻を見ると、一方の狼がうずくまって首を差し出し、もう一方の狼は噛みつこうとしながらも噛みつかずにとどまっているのだそうです。

 

狼は幸福の様式があるのだそうです。

狼は、首を差し出した狼に対しては攻撃できないという本能を持っているのだそうです。

実は攻撃能力の高い種の場合は、おのずとその同種間での戦いにおいては戦いを辞める儀式や様式を生み出すことで、絶滅しないようになっているのだそうです。

 

そしてそれは人間も同じなのだそうです。確かに闘争はなくならないが、止めるような仕組みや、行き過ぎない仕組みを内在するように進化しているのだそうです。

 

 

 

人類の歴史をたどると、狩猟・採集時代から定住・農耕・蓄財が始まったことで、長い闘争の時代へと入ります。

 

苫野一徳さんは数ある著書の中でこんなふうに述べています。

 

『人間はみんな「自由に生きたい」と思う。生きたいように生きたいので、奴隷にされるぐらいだったら命を賭してでも戦う。そうした何万年にもわたる命の奪い合いの歴史を通して、人々はついに気づく。もし本当に自由になりたいのであれば、その自由を求めて殺しあうのではなく、お互いの自由をまずは認めあって、その認めあうということをルールにした社会を作っていくほかに方法はないんだと。長い思想のリレーを通して、ルソーやヘーゲルといった人たちがこのことに辿り着いた。わずか250年ぐらい前に、この「自由の相互承認」という原理が見いだされたのだ。お互いがお互いに対等に自由な存在であるということを認めあう。それをルールとした社会が、現代の民主主義社会の根本原理である。』

 

 

 

8月15日で終戦から76年を迎えます。日本人として忘れてはならないこと。それは、今ある自由は、多くの人の犠牲の上に成り立っているということです。