群青だより

10年、20年先の子どもたちの未来のために

メモ 苫野一徳「学校を作り直す」を読んで

学校を変えたい変えようと思って、一人でどうにかなるものではない。そして、学校の規模が大きくなれば大きくなるほど、教員の個性も様々だし、方向性や考え方も異なってくる。

そういった中で、子どもたちが社会で生きていくために自立した一人として生き抜く力を育んでいくかという大枠のマインドを共有していくことが大事であると感じる。

ただ、教師というのは個性の塊であり、自分のテリトリーの中で仕事をしたい、そこを侵してくるやつは許さんみたいな空気感があることも否めない。実際、苫野さんの言うような公教育の本質

「学校は、すべての子どもが「自由」に、つつまり「生きたいように生きられる」ための"力”を育むこと」

ということを、今の職場で発信してもきっとなかなか伝わらないのである。

ではどうしたらいいのだろうかと考えたとき、結局は子どもたちの姿あのである。本書にも(P222)風越学園の甲斐崎さんのエピソードが記載されているが、大人がどれだけ自分の実践を誇らしげに語っても、または子どもたちの前で偉そうにしていても、その本質というのは子どもたちの姿に現れるのだ。以下苫野さんの記述である。

―子どもたちが、自分自身で学び浸り、学びを進め、自分たち自身で人間関係を築き、クラスを作る。そのたくましさや温かさを、ほかのクラスや学年の先生たちも、きっと感じ取ったのでしょう。そして何より、子どもたちが幸せそうであることを。―


理解してくれる人がいないと嘆く前に、まだすべきことがある。