群青だより

10年、20年先の子どもたちの未来のために

社会契約説

授業では…
生徒が初めて社会契約論に触れるのは中学校社会科、歴史的分野「近代の日本と世界」である。近代の日本というと「ペリー来航」の印象が生徒にとってもかなり強いであろう。この単元では幕末の日本において、ぺリー来航の歴史的意義とその影響について考えていく。

しかしその前段として欠かせないのが「欧米諸国が近代社会を成立させてアジア進出してきたことを理解する」(学習指導要領解説P111)ことである。なぜペリーが日本にやってきたのかというその経緯や欧米諸国の歴史について、世界という広い視点から見つめなければならない。政治体制の変化や人権思想の発達という大きな流れの中で「市民革命」がおこり、政治的な対立と社会の混乱、そこで生じた犠牲などを経て近代民主主義へと進んでいくのである。

ここで啓蒙思想家として登場するルソーの「社会契約説」の考え方や「人民主権」といった原理を、無機質な「語句」として伝達するのではなく、"人間はどうすればみんな「自由」に生きられるのか?そのための社会を、わたしたちはどのような考えにもとづいてつくっていくことができるのだろうか?”といった思索を生涯かけて続けた哲学者としてのルソーという存在を、教える側がしっかりとらえ、解釈したうえで教えなければならないと思う。それは、歴史や公民の学習内容としてだけではなく、社会の中で人々がよりよく生きるうえで必要なこととして、そして何よりも社会の縮図と言われる学校において、すべての生徒がよりよく生きていくためにという視点で語らなければならないと感じる。


苫野一徳氏の「特別授業 社会契約論」の終盤、自由学園の生徒との対談の中でスクールカーストの解決方法として“クラスや学校の中で、互いが対等に自由な存在であることを承認する"といった社会契約をクラスや学校と結んでいくことが述べられている。



生徒同士の関係性も学校にあるルールについても、こうあるべきと一方的に作り上げるのではなく、生徒も教師も学校の作り手としてどうすればより良く生きられるかという視点で、共に考えていかなければならないのだと思う。

学校現場はここ数年で世代交代が加速するであろう。このタイミングで一つの大きな変化が生まれることは目に見えて予測できる。その変化に対応できるよう、またそこで力を発揮できるよう20代30代の教師は力をつけなければならない。学ばなければならない。謙虚にそしてしたたかに。