群青だより

10年、20年先の子どもたちの未来のために

ぶつかる?かわす?待つ。

大人たちは生徒に仲間の大切さを蕩々と語るのに、実はその大人たちが職場の同僚を大切にできていないような気がする。言ったもの勝ち、やったもの勝ち、自分の狭いテリトリーの中でお山の大将でいる優越感に浸る、自分のクラスがよければいい、自分の学年がよければいい、他を攻撃することで自分の存在を保つ、長い間そのやり方でやってきたものだから今更人の話に耳などかさない、そんなベテラン教員の多いことや...(こんなふうに書いてしまう自分もまたその類かもしれないなぁ。)

もちろん若手に経験を積ませ、失敗を見守り、ケツを拭いてくれるようなベテランもいなくはないが、それは少数なのかもしれない。

何よりもベテランは変化を好まない。長らく使っていた携帯電話の機種や携帯会社を変えるのと同じ、要するにめんどくさいことはしないのである。逆に年を重ねても自己否定しながら、自身の成長のために世の中の変化に対応しようと自ら勉強していくベテランには本当に頭が下がる思いだ。

では前者のような同僚に対してどう関わっていけば良いのだろうか。共通項まて掘り下げる...。そのマインドは忘れてはならないと思うが、しかし、話してわかる相手とは限らない。どう頑張っても話が通じない凝り固まった人はいる。特にこの世界にはいる。結局は大人が大人を変えることはできないのだと思う。


生徒は教師の鏡と言われる。結局はその学校の実態は生徒の姿がそのまま表すのである。だからこそ、大人を変えようと、感情的に、無策にぶつかるのではなく、子どもたちと共に成長していきながら学校をより良いものに変えていくしかないのである。1人の生徒の後ろには両親や祖父母と言った目、耳、口がいくつもあるわけで、生徒がいいと思ったり楽しいと感じたことはどんどん伝わっていく。できればそういった空気感が生徒たちによってエンパワーされたものであれば、その空気は地域、学校というように少しずつ広がっていくはずである。

また、よく学級経営でパレートの法則を例えに集団を見とることが言われるが、学校の教師も同じことである。いろいろな考えを持った人がいて当然である。そういった多様性を認めた上で協働できるような仲間を1人ずつ作りながら高め合うことで組織全体の意識も高まっていくのではないだろうか。そして世代交代を待つのだ。

これからますます増えていく初任者や新卒の若手教員。経験不足はデメリットなのかもしれないが、何にも染まってないというメリットがある。柔軟である。そして、この世代はデジタルネイティブとして、上の世代にはない新しい発想や技術を持っているかもしれない。そういった個性を生かしながら協働できる職場を地道に作っていきたいと思う。