群青だより

10年、20年先の子どもたちの未来のために

どう居るか

日々子どもたちと接している中で、子どもたち一人一人の表情や教室の空気の変化を感じる。穏やかな雰囲気、のほほんとした空気、ピリついた空気、不安な空気といろいろだ。一人一人の気持ちがいつも一定でないように、教室の空気もその時その時で変化していくものだと思う。

大人なのでその空気の変化を当然感じとる。でも大人が感じることは大抵の子どもたちが感じていることなのだと思う。

そういった日々様々な変化のある教室で、どうやるかというような方法を考えることやその術を知っていることは大切なのだけれど、その場にどう居るかということもとても重要だと思う。


近年、特にこのコロナ禍において全国津々浦々若手のネクストリーダーと言われるような教師が、SNSやブログ、YouTubeなどのさまざまなツールを使って情報発信をしている。

また書店に行くとさまざまなタイトルの学級経営や教科指導に関する書籍が並んでいる。こんな時はこうする!というようなマニュアル本や、know-how本も多いように感じる。

自分自身、教員になって特に1〜3年目くらいまではその日その日をどうするかということに追われる中で、こう言った本を読み漁った。朝の4時に起きて、その日の新作授業の教材研究をし、ネタ探しをし、挑むという日々だったような気がする。

そういった日々の中で、生徒に対する指示の出し方や、授業作りや学習内容の見通し、板書の仕方、生徒がしっかり聞くような間の取り方、話し方を身につけたことは間違いない。

そして言うまでもなくこういった技能は、教師が持っていなければならない力である。これらの力は、理屈云々でなく、今の自分ではまずいという危機感や現状に満足できない思いが修練へと向かわせるのである。子どもたちの未来を築くこの仕事をする以上、その気持ちがない若手の教員は辞めるべきだと思う。現状に満足することなく必死にもがく経験は尊い


しかし、そのことを前提にしたうえで、どうやるかと同じくらい、いやそれ以上にどう居るかということがどれほど重要かということを感じずにはいられない。

居るべき時、居るべき場所に居ること。そして子どもの前でどんな表情で居るか、ということは自分たち大人が思っている以上に、子どもたちがよく見ているし、知っていることなのだと思う。

自分が子ども時代に感じていたことを思い返してみるとそれは当然のことなのだが、大人になるとその視点を忘れてしまう。星の王子様の冒頭はあまりにも有名である。

おとなは、だれも、はじめは子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、いくらもいない。)