群青だより

10年、20年先の子どもたちの未来のために

メモ- 大村はま「教えるということ」

大村はまさんの「教えるということ」を読みました。この本の中には仏様の指とい位お話が出てきます。それは大村はまさんが若い頃に参加していた読書会の主催者であった、奥田正造先生の話です。そのまま抜粋します。

 

 

《あるとき、仏様が道ばたに立っていらっしゃった。すると、一人の男が荷物をいっぱいに積んだ車を引いて通りかかった。しかし、大変なぬかるみにはまってしまい、懸命に引いても車は動かない。汗びっしょりになって男は苦しんでいた。その様子をしばらく見ていらっしゃった仏様は、ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていった。》


奥田先生はこのように話して、「こういうのがほんとうの一級の教師なんだ。男はみ仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。自分が努力して、ついに引き得たという自信と喜びとで、その車を引いていったのだ」と語りました。

 

大村はまさんは本書の中でこう述べます。

「もしその仏様のお力によってその車がひき抜けたことを男が知ったら、男は仏様にひざまずいて感謝したでしょう。けれども、それでは男の一人で生きていく力、生きぬく力は、何分の一かに減っただろうと思いました」

 

子どもたちが自分の足でしっかりと立って、教師の手を離れた後に生き抜いていく力をつける場、これが学校なのだと思います。

 

学級の生徒から慕われて嫌な教師はいません。しかし教師の仕事は生徒に慕われるためにやるのではありません。自身の役割を常に見つめていく客観性が必要不可欠です。慕われていく中で、私たち『の』先生とか、先生『の』ためにとか、担任の名前を前面に出して〇〇組、〇〇学年呼び出すような凝集性の高い集団になっていく場合が往々にしてあると思います。しかしそれは教育ではありません。

 

自分の姿を常に省みて成長しようとすること、今の自分に満足しないこと、これが教師としての大切な資質なのだと思います。

 

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